20日目 成都‐上海へ(汽車)
成都:
朝早く起きた。荷物をまとめて、チャックアウト。
外は涼しかった。プータオがDidiで車を手配して、成都駅に向かう。
成都中心分の建築現場が見える。
こんな中心地のビルでも、レンガを重ねて壁を作っているのには驚いた。
時間があるので、駅前の食堂で朝ごはん。肉まん屋がなかったからラーメンを食べる。
さすが四川、皆朝から辛いラーメンを食べている。
私はあまり辛いのを食べたくなかったけど、しかたなく食べた。
だいぶ飽きてきた。日本の味が恋しくなる。
隣の売店で、電車の長旅に備えて買物した。
「仙貝」(発音がセンベイに近いのか?)という日本の「ハッピーターン」に味がよく似たせんべいがおいしい。
仙貝の大きい袋を買った。それから果物も買う。汽車の長旅は果物があると腹持ちもよくて、すごくいい。
駅の入口へ、荷物検査があるので外の方まで行列している。
並んでいると雨が降ってきて濡れるから、早く入れてほしい。。
駅の構内へ。人がたくさんいた。上海行、北京行、瀋陽行、様々な大都市への電車がここから出ている。
成都は内陸の大都市だが、この駅のトイレは、隣と全部つながっている「一本道トイレ」だった。
成都でこんなトイレとは、驚いた。
こういった細部を見ると、日本のほうが綺麗だ。
列車の改札開始の時刻が近づくと、みんな並びだす。うかうかすると乗り遅れるので、列車に関しては、中国人の行動は日本人より敏速だと感じる。
並ぶ人を見ると、スーツケースの人もいれば、竹竿を天秤棒にして荷物を担ぐおじさんもいる。
天秤棒がぶつからないようにおじさんは横向きでカニ歩きだ。
そんな人がいても、周りの人は何も気にしない。
同じ時空に、新旧のスタイルが入り混じり、それが特別なことでもない中国。
私にとって、このギャップがなんともいえない味わいというか面白さを感じるところだ。
寝台列車の旅が始まる。
下段が一番いいい場所だが、確かに、上段よりも中段の方がずっといい。上りやすいし、寝転がりやすい。
1人が上段に行くよりは、二人とも中段のほうがよかった。
ただ中段では座れず寝っ転がることになるので、ほとんど寝ているような旅になりそうだ。
今回の列車のトイレはボットントイレだった。糞尿が即、地面に落ちる。なので、列車が駅に近づくと、係員がトイレのドアにカギをかけて使えなくなる。
線路に紙やごみが落ちているのが見えた。これで済んでいるのなら、省エネでいいのかなと思う。
中国人は電車の廊下を裸足で歩き回る。。プータオもそうだ。
私は若干潔癖症の面もあり、ウェットティッシュを常に持ち歩く。
この国に住むとしたら、裸足で歩き回れるような感覚の方が、ずっと気分的に楽だろう。
今回は周りの人とはあまり話さず、自分を日本人とも言わなかった。
若い人たちは携帯電話をじっと見ていた。動画を見ている子も多い。
カップラーメンを食べる人が多い。
一番下の段の中年夫婦はほとんど寝ていた。おばさんは上段のベットだが、昼間は下段のおじさんの場所で二人一緒にきちきちで寝ていた。
電車の床を時々、乗務員が掃除する。乗務員の仕事は、掃除、食事の注文の聞き取り、トイレのドアの鍵の開け閉め、乗客の乗り降りなど様々だ。
床を履くのは箒だた。乗客が邪魔だと「どいてどいて」と声をかける。
寝たり起きたりしながら過ごした。
プータオはしょっちゅうタバコを吸いにいっていた。
途中駅に列車が停まると、気分転換に外に出た。
途中駅で、列車の中のゴミを出したり、食事を載せたりしているようだった。
線路の工事の人たち。頭にぶっているのが麦わら帽子だった。
日本なら安全管理のため、ヘルメットは必須だろう。
中国では、そこまでの要求はできないのだろう。
夜になると電気が消えるので、早めに洗面を使って身支度をして、寝た。
由于第三天我们回上海了我们睡觉很早早上也是做的去了火车站。在车站附近吃的东西。买的在火车的零食。姐姐不太喜欢吃中国的零食买的很少。就这样我们结束了成都的旅行我们回上海了。在火车上由于没有买到下铺的车票只好买了两个中铺的车票。比较不方便。就这样我们离开了成都。
19日目 成都
成都:
成都観光最終日。プータオは昨日の脚の負傷のため、宿に待機。
私一人で、成都の街中に観光に行くことにした。
その前に、プータオと二人で朝ごはんを食べに行く。
私は包子とマントウを頼む。両者は皮も違うことに気づいた。
マントウの方がふわふわして甘い生地だ。
アヒルの茹卵を頼んだけど、塩辛くてぱさぱさしている。こういう時はアヒルではなく鳥の卵のほうがよかった。
豆乳を頼むと、砂糖も出してくれる。私はあまり甘いのが好きではないので、砂糖なしでよかった。
豆乳にマントウを浸して食べてみたけどあまり美味しくなかった。
そしてプータオと別れ一人地下鉄に乗って、出かけた。
博物館を二つ回ることにした。
地下鉄に乗るのもだいぶ慣れた。
まず成都博物館に向かった。
きれいなショッピングモールを通って行った。
博物館の前に行くと、長蛇の列。夏休み期間とあって、子供たちも多い。。
かなり待つようなので、先に四川博物館に行くことにした。
地下街でトイレに入ったら、トイレの掃除のおばちゃんが怒った様子で大声で話しだしたので、少し驚いた。
中国では、掃除のおばちゃんだろうが何だろうが、自己主張はしっかりするのだ。
喋らない無口な人って、中国ではあまり見ない。
競争社会なので、自分の言い分をしっかり主張しないと、どんどん埋もれてしまうように感じた。
日本のように黙っていたら「どうしたの」と誰かが声をかけてきてくれるような生易しい社会じゃないと私は思う。
地下鉄に乗って四川博物館の最寄駅へ。
携帯の地図アプリを手に、博物館を探す。
ちなみに、地図アプリは、中国では中国のアプリの方が、駅の場所などが正確だと思う。
私はプータオに教えてもらった「高徳地図」を使っている。
駅から博物館まで少し距離がある。工事現場の横を通りながら歩いていった。
中医の大きな病院がある。さすが本場中国だ、こんなに大きい病院があるなんて。
やっと、四川博物館につく。並ばずに入れた。
チベット仏教の展示があった。解説を読みたかったけど、英語も中国語も中級レベルのため、ほとんど読めなかった。悲しい。残念だ。
四川省は中国の中でも少数民族が多い地域だ。様々な民族の展示物があった。
疲れたのでベンチに座って休んだ。そしてしばらく寝てしまった。疲れていたのだ。
博物館を出て、また駅まで歩いて戻るのは嫌なので、近くのバスを探した。
バスに乗って、成都博物館に一番近いバス停で降りた。
お昼ご飯は担担麺の店に入ってみた。
おいしかった。
どのテーブルにも、串刺しの料理が置いてあるが、どのようなシステムでこれを食べるのかわからず、目の前にあるけど、手をつけなかった。
成都は小吃文化が有名で、大連の大学で出会った先生に「成都は小吃がすっごくおいしい」と聞いていた。
ここでやっとまともな小吃(軽食)、おいしい小吃にありついたように思う。
よかった。
中心部の道路はこんな感じ。
レンタル自転車もある。
ふたたび、成都博物館へ。
まだ並んでるけど朝よりましだ。
並んでいると、その横を、ミネラルウォーターやらアイスやら、物売りが行き交う。
アイスがけっこう売れていた。
30分ほど並んで、やっと入口についたら、係員に「外国人は向うで一度手続きをしなければいけない」と言われる。
ショック。まさかまた並びなおすのかという思いが心をよぎる。
と、係員が「手続きの紙を受け取ったら、直接ここに来ていい」と言ってくれた。なんて優しい人だと思った。
博物館は無料だ。
飲み物は水以外持ち込めないので、水筒を持ってきた人は、机の上に置いてあずけていく。
博物館はとても大きくてきれいだ。そしてハイテク技術が使われ、雰囲気が出る展示がされている。
「新しい」という印象を受ける。それに比べると、日本の博物館は「ちょっと古い」印象がある。
様々な時代、様々な民族の展示物があった。
紙人形もよくみると、こんなにユニークだ。
作り方の詳細な説明の展示があったりと、伝統文化を伝承する役割も果たしている。
なぜ人は娯楽を必要とするのか、なぜ人は宗教を必要とするのか
その土地の風土や、生活様式とどのようにからみあって誕生したのか
そんなことが頭に浮かんだ。
成都は歴史も長く、特融の文化もあり、この土地の人はこの地に誇りを持っていると感じた。
「川軍魂」:”川”は四川省を意味しているだろう。
こんな大きな織機も展示されていた。
疲れていてゆっくり全て見る気力が残っていなかった。
外に出てコーヒーでも飲みたいと思って、カフェを探した。
カフェがあったが、値段をみてあまりに高いと思いやめた。たしか、コーヒー一杯が日本円で600円くらいだったと思う。ゆっくり座ってコーヒーを飲む時間もないので。
仕方ないので、天府广场に行った。
こんなモダンなモニュメントがあり、座って休んでいる人も多い。
私も座ってしばらく休んだ。
毛沢東の像が見えた。街の中心地のようだ。
記念写真を撮る人もいた。
そうして駅の地下街を少しぶらぶらして、自分のお土産に小さな水筒を買った。
宿に戻った。
成都最後の夜なので、またあの激辛火鍋屋に行くことにした。
路上で見るテレビ。子供たちはいなかった。
火鍋。前回の経験をもとに、鍋が運ばれたら、まだスープが固形状で溶けていないなので、唐辛子と脂を半分以上取り出した。
薬味たっぷり。
ほどほどの辛さの火鍋ができた。
赤い汁の部分で茹でて、真ん中の透明の部分で洗ってから食べると、ちょうどよい辛さだ。
中国の料理店では、飲み物を持ち込んでもいいようだ。
私とプータオが食べる時はいつも、外で、飲み物を買って、店にもって入って飲む。
ここでも、コーラとスプライトを近くのコンビニで買って、火鍋を食べながら、それを飲んでいた。
他の客をみてもそうしてる人も多い。コンビニの方が安いのだ。
お腹いっぱいだ。しかし、食後、ものすごく気持ち悪くなってしまった。。。
こってりした中国の料理が続き、胃が参ってしまったのかもしれない。
宿に帰った。
我由于不舒服早上和姐姐吃完了后姐姐就自己一个人去了成都的博物馆。我很担心她。但是她真的厉害。自己一个人去了四川博物馆和成都的博物馆。晚上我们又去了一次火锅店吃了火锅但是这次我们没有喝酸奶。但是吃完了以后肚子不舒服了。姐姐肚子非常难受。我很担心她。后来她好了。
18日目 成都、都江堰
成都、都江:
朝遅めに起きたけど、せっかくだから郊外の都江堰に出かけることにした。バスはもうないので、高鉄に乗ることにした。
まずは遅い朝ごはん。また裏手の市場の方へ。
天秤をかつぐおばあちゃん。
こういう昔ながらの道具を使う様子を見るのが好きだ。
市場の一角にあるワンタン屋が昨日気になっていたので、そこへ行った。
海老ワンタン。味はまずまずだが、香港で食べた時のほうがおいしかった。
地下鉄に乗って、高鉄に乗り換える駅に向かった(駅の名前を忘れた)。地下鉄ホームと高鉄のホームが近くて、外に出ないで乗り換えしている人がいたけど、どうやら、私は高鉄の切符もないし、身分証もないし、無理なようだ。
一度外に出て、ちょっと歩いて、高鉄の切符売り場へ行った。片道10元の切符でもパスポートを出して買わないといけないから面倒に思う。
そして荷物検査。
高鉄に乗り込む時、人がたくさんいて、プータオの片足が、ホームと列車の隙間に落ちてしまった。
彼は無事だったが、脚をけがしてしまったようだ。。
これから観光というときに、運が悪い。。
シート席もあるが、私たちの切符は立席なので、立っていた。
遠くなかった。
都江堰の駅について、外にでる。どうやったら観光場所に行けるのかわからない。
こういう時は、とにかくプータオに誰かに聞くようにと指示を出す。
観光案内の人にプータオが話を聞き、向うの方に、直通バスが出ているという情報を得た。
ちょっとわかりにくい場所にバスがあった。これは言葉ができない外国人が見つけるのは難しいと思った。
路線バスでもないし、いったいこのバスは何なのだろう。
切符を買って乗り込んだ。6人くらい乗客が乗っていた。ガイドのような説明員の若い女の子が、マイクでずっと説明をしていた。私は聞き取れなかった。
都江堰は広くて、入口がいくつかある。そのうちの一つにバスがついた。
入場券は、説明員の女の子にお金を渡したら、まとめて買ってきてくれる。
混んでいる時は便利だ。
こういう処理もプータオがいるからどうしたらいいかわかって、助かる。
中のガイドも申し込めたようだが、それは頼まず、入場券だけ買ってもらい、私とプータオは二人で中に入っていった。
午前中雨が降って、じめじめしていた。
蒸し暑いのが日本と似ている。
プータオの脚の調子が悪いから、ゆっくり進んだ。
まず景色が見渡せる玉塁閣という立派な建物に向かった。途中エスカレーターがあった。
エスカレータを上がると、景色が一望できた。魚嘴が見えた。
そして、玉塁閣へ向かう。立派な建物なので、写真を撮るのに夢中になってしまう。
中の階段を昇って行った。各階で外を見晴らすことができる。
素晴らしい景色だ。
都江堰の治水事業のおかげで、この一帯は恵まれた農作地帯となり、国が発展したというが、周りを見渡すと、農業はほとんどなくなっていた。
新しいビルやマンションが建設されていた。このあたりも、開発が進んでいるようだ。
そうすると、これから中国では誰がどこで農業をするのか、と疑問がわいてくる。
せっかくなので玉塁閣のてっぺんまで登った。
鐘があった。
日本のお寺の鐘を思い浮かべる。やっぱり、日本と中国、両国の文化が似ていると感じる。
蝙蝠がモチーフになっている。縁起がいいのだ。蝙蝠のモチーフも日本に伝わっている。
中国様式の、反りあがる形の屋根。なぜあんなに先端を反り上げるのだろうか。日本の屋根と違うので、何度見ても慣れない感覚がある。
屋根の中間を歩いている動物は何だろう。
そしてまた、エスカレーターで下に降りて行った。
園内は広い。上り下りも急で、けっこう疲れる。
お金を払えば、人力の籠に乗ることもできる。
でもこんな急な道で人を乗せ、籠をかつぐおじさん達を見ると、申し訳なくてよっぽどのことでないと乗れないと思った。
プータオも脚を怪我しているので、他の建物はあまり見ずに、魚嘴に向かうことにした。
山の中を歩くのは気持ちがよかった。
魚嘴の建設に大きく貢献した李氏の像を見た。
でも、解説がないとやはりよくわからない。
お腹がすいたので、売店で軽食を買って食べた。
朝から何も食べていなかったので、とても美味しく感じた。
プータオはこれでも足りないようで、ウィンナーも買って食べていた。
橋を渡る。吊り橋。揺れるとちょっと怖い。
魚嘴についた。
水量が多く、流れも速くて恐ろしい。
水はなくてはならないものだが、大量の水を蓄えた河は時として、人間に襲い掛かる。
この地では遠い昔の人が、知恵を絞り灌漑施設を築き、河をコントロールしてきたのだ。
さて、帰ることにした。雨も降っていた。出口までは遠いので、運搬車に乗ることにした。
プータオが行列に並んでくれた。
これが水をせき止める時に使った道具のようだ。
外に出ると、そこにも立派な建物が見える。
中国人観光客の年老いた家族が写真を撮りたいので「シャッターを押してほしい」と頼んできた。
こういうときはプータオに任せる。写真を撮るのは私よりプータオの方が得意だ。
顔がもう皺皺のおじいちゃんとおばあちゃん、背も低い。こうして家族で旅行して、どんなにいい記念になっただろう。
撮り終えると「謝謝(シエシエ)」となんども言われる。嬉しそうだ。
そんな記念の写真を取るお手伝いができると思うと、私たちも嬉しい。
河にかかる建物の天井。
立派な絵が描かれている。このように四角く区切って天井に絵が描かれるのも日本も同じだ。
橋の装飾には雨をつかさどる龍。
ひげがのびて活き活きとしている。
プータオはすっかり疲れてしまった。
お昼ご飯も軽食しか食べていないので、私も疲れた。
帰りは路線バスがあったので、それに乗った。だいぶ安い。
時間があれば、街中もちょっと見物したかったが、雨も降ってきたしもう夕方なので、とりあえず成都に戻ることにした。
駅について、高鉄の切符を買い、電車に乗った。そして地下鉄に乗り、ホテルの最寄り駅に戻った。
晩ご飯をどこで食べるか歩きながら迷っていた。北京ダックを食べたいと思ったけど、メニューを見ると高いし、中にいるお客も少ない。
近くにあった、別の少し大きめのレストランに入った。
すぐにウェイターが注文を聞きに来る。
「私は日本人で、メニューを読めないから、ちょっと時間がほしい」
と言ったら、すぐに彼は納得してくれた。
もっと早くからこういう風に自分で言えばよかったのだ。
そうしないと、店に入ってすぐに迫ってくるウェイター/ウェイトレスに対してストレスを感じるのだ。彼らは、注文をとるまで、基本的に横に立ってずっと待っているのだ。こっちは気になってゆっくり考えられないのだ。
キュウリの冷菜と、肉料理を注文した。
美味しかった。もっと早くこの店に来ていればよかったと思った。
そこの店長も「うちの店美味しいでしょ」と言った。
「美味しい」と答えた。
そうして、またいつもの売店で買物して、宿に戻った。
今天和姐姐去都江堰。这个地方有很有名的水利工程。是在2000多年以前的时候建造的。早上起来和姐姐一起坐地铁去了高铁站。路上和姐姐聊天开心。然后我们买票了。进站。但是我上车的时候掉下去了。腿很痛非常痛。我一直和姐姐聊天没有主意脚下我们做的高铁没有座位是站票。
很快就到了都江堰。我们下车的时候问就工作人员。去哪里做客车我们想去的地方。。我记得两个人是二十块钱。在车上人不多。只有几个人。这个车好像是导游的车。让我们去报名他们的团。但是我感觉不合适就没有让姐姐报名我们在他们那里买的票。和做电梯的票。就这样我们和他们分开了。我和姐姐去了这里最好的地方。从高的地方往下走。不是很累的。我们先去了做了电梯到一个山上的地方这里可以看到我们旅行的地方全貌。风景很好。可以看到鱼嘴。然后我们去了一个塔。这里很多很多。第一层是卖的吃的和礼品。楼梯很小只能一个人通过。我们最后走到了最高得一层。四川真的旅游很好。我们还摸了一下这里的大钟。然后就去了
我们下去了走还有在一个大马的地方拍了照片。和姐姐的脸好像啊
然后我们坐电梯下去了。走了很长的路看了很多的庙。然后我们走了掉桥上去看了鱼嘴。我们还要出别的地方所以我们买了景区里的车票。多少钱忘记了。我看了一会就和姐姐说我去排队吧。因为排队的人很多。所以我要提前去排队。我让姐姐自己逛逛了。排队了很久下雨了。我们做的事一个电动车。去了地方我也不知道叫什么。我们就因为边走边玩。古代人真的好几厉害。他们真的聪明。
因为腿痛所以姐姐说早点回家。就这样我们边走边看就出去了。回去的时候做的是公交车去的高铁站。由于最后一班车是7点所以很急。感谢老天爷。让我们买了这个票。回去的时候我们在新南门下车了吃的是水煮肉片和一个黄瓜。真的好吃也便宜。我们吃完了后就回去休息了
17日目 成都
成都:
なので、フロントに聞いて、空き部屋があったので、上海に行くまでここに滞在することにした。
宿が決まるとほっとする。
プータオは気分が悪いそうだ。しかし、上海に向かう寝台列車の切符を買いたい。Ctripのアプリだと、下段のベッドをどうしても予約できない。だから、成都駅に行くこととにした。
切符を買うところまでは、二人で出かけて、その後は私一人で見物に行くことにした。
まず遅い朝ごはん。
ホテルの裏手に行く。市場があってそこに食堂もいくつかあるのだ。
文房具店の前に、テレビが置いてあって、子供たちが座ってみている。
昭和のようなのどかな光景だ。
日本のテレビ番組を見ている。ずいぶん古そうな番組だけどDVDなのか・・・・?
ウルトラマンの番組が流れている。
電子マネーが日本より普及するなど、急速に発展している一方で、街角にはこんなのどかな昭和の光景がある。ギャップが面白い。
子供たちが私にウルトラマンが何人いるか、中国語で教えてくれた。カワイイ。
便利だ。
それがとても面白く感じる。
さっき拾った一元で、私も一つ買ってみた。
冷たいまま食べたからか、すごくおいしいとは思わなかった。
梨を食べ始めたけど、手芸の握り鋏をナイフのようにして、うまく梨をカットしながら食べていた。
握り鋏で梨を食べる人は初めて見た。
プータオが戻ってきて、地下鉄の駅に向かう。
路上にある配電盤。
ケーブルがあふれてるけど、大丈夫なのだろうか・・・。
3日後の上海行きの寝台列車で一番下の段は売り切れだそうだ。二人向かい合わせの二段目を取るのがよいそうなので、そのようにしてもらった。
プータオは家に帰って休むことにした。
私は一人で出かけることにした。
駅の階段で、掃除のおばちゃんが寝ていた。これもびっくり。
このようにチベット関連の物が売っている。
チベットのお皿が欲しいとおもって、店の中に入った。
よさそうな金属のお皿があったので、店の中にいたお兄さんに「これは何か」と聞いてみた。
そうしたら、「それは仏具で7枚セットだ」という。七枚もいらないし、ちょと高い。
彼がお土産なら、「あのような飾り(カラフルな組紐のようなもの)を買ったらどうだ」という。
彼らはカップルで、家に置く仏具を買いに来たそうだ。きらびやかな仏具のお皿のようなセットを入念に選んでいた。
私は、他の店に行って、組紐のような飾りの一番安いものを、自分とプータオ用に二つ買った。
いろいろ店を見て回った。宝石の石や、仏画、物族、仏具の店が立ち並ぶ。チベット仏教の経済があるのだと感じた。チベット仏教徒にとっては価値があり売買が成立する。彼ら独自の文化であり経済だ。
路上で喧嘩も見た。車があったったのだろうか。男たちが集まって大声で騒いでいた。こんなとき、当事者の仲間たちがわっと集まっていたようだ。何か起こった時には助け合うつながりがあるのかなと感じた。
警察車両がたくさん停まっている。ここはちょっとした警戒地域のようだ。
中国語で、あれこれ説明する。
私が日本人だと気づかないようだ。
おばちゃんがしつこいので、小さなお茶を一つ買った。
私は日本人だと言った。彼女はずっと私を中国人だと思っていたらしい。
口数少なくしていれば、日本人だとばれないようだった。
帰るバスを探しながらブラブラしていたら、若めの男が声をかけてきた。
私が日本人だというと、彼はチベット族で美味しいレストランがあるからチベット料理を食べに行こうと言ってくる。
お断りした。
ホテル方面のバスに乗り、ホテルの近くだと思って降りたところ、ホテルがどこか分からない。
道端の人に聞き、ホテルに向かって川沿いを歩いた。
反対側には雰囲気のある建物が見えた。今度時間があったら、プータオと散歩したいと思った。
魚が釣れるようだ。
囲碁か将棋をしている人もいる。
記念碑。
日本だと保健所に登録しないと美容理容業はできない。制度がまだ違うようだ。
今天早上起来的很早因为要去买票所以早上起来了。因为我不舒服不能和姐姐一起去藏族街里。早上起来我们吃了面。然后我走路时候姐姐捡到了一块钱。哈哈然后我们就把它花掉了给姐姐买了吃的。就这样我们去了地铁站去买票了。在火车上我告诉了姐姐怎么走她要去的地方。怎么做地铁,我们买了两个中铺车票。就这样我们买好票就出来了。我们一起坐地铁中间分开了。她去了街里我回酒店了。我们约定好的要一直联系。因为她要去藏族地方。因为哪里很乱我比较担心。因为这是姐姐第一个次一个人出去。担心。我家的路上我买了水果。再回去路上和酒店里一直在联系姐姐但是她可能开心所以回复慢。我说了遇到了危险给我打电话联系。但是我等了很久我睡着了。后来姐姐给我打电话说他回来了然后我们去吃饭了。
16日目 丹巴-成都
丹巴-成都:
丹巴から直接成都に向かう。康定は通らないルートで行くようだ。
成都行きのバスは多かった。間違わないように自分が予約したバスを選んだ。
朝ごはんは近くの店で、肉まんとゆで卵を買った。
広々としたシートで快適だ。乗客もたくさんいた。
一本道で山道を登っていくが、ひどい渋滞だ。延々と車が並んでいるのが見える。
道路工事をしているようだ。。
工事現場の脇をバスがようやく通り抜けた時は、工事のおじさんはみんなお昼休憩のようで、トラックの中で足を投げ出して寝ているのが見えた。こんなに渋滞してるのにのんきなもんだ、と感じた。
切り立った崖を通るので下を見ると結構怖い。
また四姑娘山という有名な観光地を通るので、観光の車もたくさんある。確かに美しい山並みが少し見えた。
パンダの生息地も通った。じめじめした湿度の高い日本のような山を通った。
お昼休憩でレストランにバスが停まって、みんな急いでご飯を注文して食べていた。
しかし、プータオがトイレに行ったきりずっと戻ってこないので、私は食べずに待っていた。
店員に「早くしないと間に合わないよ」と言われたけど、あまりお腹もすいていないし、一人外で待っていた。
プータオが戻ってきて、ご飯は食べなくていいというのでまたバスに戻った。
高速道路にのると、バスがぐんぐん進むのでほっとした。
成都の街に入り、ガソリンスタンドにバスが停まった。私はトイレに行った。バスが出発するとき、売店に行った乗客がまだ戻っていなかったようだが、運転手が気づかず、バスを進めてしまった。そしたら、外からおばさんが大慌てで走ってきてバスをとめた。そして、買物の品がまだ店にあると言い、店に取りに行ってからようやくバスに戻ってきた。いろいろあっても、みんな大声で自分のことを主張するから、なんとかなるようだ。バスの乗客もちょっとした珍事に笑っている。
夕方やっと、成都についた。康定に向かうときとは違うバスターミナルだった。
以前に泊まった成都と同じユースホステルに予約してあったので、プータオがdidiで車を手配した。
回りを見ると、田舎からバスで都会に出てきて、客引きの車に連れていかれる貧しそうなおじさん達がいた。出稼ぎだろうか。バスからおりてまっさきに騙されるんじゃないかとひやひやする。
でもそれが中国なのだ。貧富の格差は大きい。教育レベルや情報格差もある。全てサバイバル、自己責任、経験しながら学び、生き抜くしかないようだ。
プータオと以前に行きたかったけど行けなかった火鍋の店にいった。
ものすごい量の唐辛子の調味料。半端ない量だ。驚きだ。
そして食べてみると、辛い。舌がしびれる辛さだ。中国語では麻辣(マーラー)と表現する。
舌が痛い。もはや辛すぎて食べられない。
プータオも辛いのが苦手なので、唐辛子をすくって出した。
店員のおばさんは「これでも辛くないほうよ」なんて言う。
。。。。
店員たちが後の席でまかないを食べてたけど、それは全然辛くない鍋料理だった。
よくわからないけど、これぞ四川という気分を味わえたのはよかった。
食べ切れないで残してしまったのでもったいなかった。
帰りに売店でヨーグルトを買った。
今天是从丹巴回成都了。早上很早起来了。在酒店门口附近买的包子吃。我和姐姐走路去了公共汽车站。这里回成都的人比较多。这个车是一个高级的汽车坐车很舒服。还是漫长的坐车之旅。我一坐车就困不知道为什么。姐姐也是困。就这样我们回去了我们的旅行快要结束了。我们下午五点左右时候到的成都。然后在网络上订的出租车。回去来成都的时候那个熊猫夫人的地方住下了。我们在屋里休息一会就出去吃了上次没有吃的那个火锅店。非常好吃的一个火锅店。真的好吃。就是比较辣啊。我吃不了辣的姐姐她也不能吃辣的。但是我们喝了酸奶感觉胃里很好。没有不舒服。就这样我们吃了非常开心。
晚上我们在河边聊天。我感觉到了姐姐心情不好了。
15日目 丹巴(ダンバ)
丹巴(ダンバ):
暑い。Tシャツで十分だ。これまでの地域とは気候が違う。
まず朝ごはん、ラーメンにした。
冒三鮮という、四川の料理があるらしい。
プータオも食べたことがない。
まず冷蔵庫の食材を選んでとり、重さで値段が決まる。
出てきたのが、大きなお椀一つにさっき選んだ具材とスープが入れられている。
そして、それぞれに素ラーメンが来た。
なかなか美味しかった。気に入った。
中国の食堂では、ご飯食べてるときに、店員とおしゃべりすることが多い。
フランクに誰とでも話をするこの文化を私はとても気に入ってる。
丹巴観光に出かけることにしたけど、観光場所がどれも遠いようだ。車で行かなければならない。
まずは甲居村、に行くことにした。タクシーを見つけて乗り、いくらか聞くと、そこそこの値段。
帰りもまたタクシーが見つかるのか不安を感じつつ、プータオと一緒だから何とかなると思い、タクシーで甲居村に向かった。
とても大きなテーマパークのようで、まず入口で入園のチケットを買う。そして観光場所まで遠いので、タクシーで乗り入れてもらって、展望台で降ろしてもらった。
独特の景色が広がる。山の斜面の緑の合間にギャロンチベット族の家屋が点在している。
見て回る場所が広いのだ。そして暑い。
園内を回るシャトルバスがあったが、入園チケットを買う場所でないと、そのバスに乗れる切符を買えないんだそうだ。入園場所に戻るのは遠すぎで無理だ。
プータオはケチだから、入園料が高いから、シャトルバスのチケットは買わなかったのだ。プータオも後悔するがどうしようもない。
歩いて行ける範囲を見ることにした。
ほとんどの人がシャトルバスにのるけど、私はとぼとぼ歩くしかない。もう一人おじさんが歩いていた。どこに行けばいいのか聞いてみたけど彼も分からないらしい。
暑いのでアスファルトで舗装された道から、山の小道に入っていく。
伝統家屋の前を通っていく。現在は民宿になっているようだ。
外を歩く人はほとんどいない。
遠くからみると美しい景色に見えたが、近くに行くとどれも同じような家で見ごたえがあるわけではなかった。
歩きながら下っていき、また元の展望台に戻ってきた。
民族服を着たおばさんが果物を売っていた。
暑いので、売店に行きコーラを買った。
トイレの建物があるが、鍵が閉まって入れない。不愛想な売店の人に聞くと、「奥を下ったところにある」という。しばらく探すと、小屋があって、板が渡してあるだけのとても汚いトイレがやっとみつかった。
新しいトイレを建てても、掃除する人がいないのか、運営費がかさむのか・・・結局この古いぼっとん式のトイレになったようだ。
息を止めて入った。
そして、タクシーがいつくるかもわからないので、プータオと歩いて下山することにした。車が走る道の脇をとぼとぼ歩いた。日陰もなく暑い。
岩にトカゲのようなものがいた。私は気持ち悪いからあまり見たくない。プータオは平気なようだ。
岩はスレートというのだろうか、板状のものが重なってできている構造だ。
バイクやら車やら通りすぎていった。しばらく歩いていると、タクシーらしき車がやっと止まった。そして乗せてもらえた。助かった気分だ。
街中まで戻ってきた。街中はのんびり、座っている人や、何やら集まってゲームする人達がみえる。外でのんびり人が集まる風景も日本ではなかなか見かけない。
良い文化だなと思う。
ビリヤードもあった。
まだ昼過ぎで、時間がたっぷりある。
高い塔が立ち並ぶ梭坡村に行くことにした。プータオがタバコを買った売店の人と話していると、そこの店のおじさんが車を出して連れてってくれるという。
車をもっていて、客と合意ができれば誰でもすぐ白タクをやるのだ。
おじさんが車でやってきた、もう一人男が乗っていた。そして私たちが乗って、しばらく走り、着いたと言って降ろされたところが・・・・塔が立ち並ぶ地域の川の向かい側の見晴らし台だった。。塔からだいぶ遠い。
いや、私が行きたかったのはここじゃない。
塔の近くに行きたかったのだ。
プータオに「なんで、ここで降ろされたのか。塔があるまさにあの場所を歩きたいんだ」と言ったら、ドライバーに「あそこには入れないと言われた」という。
そんな話があるか。ガイドの地図にも、入れると書いてあるし、ネットのブログにも入ってる人の写真がある。
私は怒って、言い争った。
遠くに川を渡る橋が見える。かなり距離があるけど、そこに向かって私は歩きだした。プータオもむすっとして歩いた。
暑い。雨傘があったので、それをさす。
プータオはなにやらきょろきょろしていた。
しばらく歩いていたら、走ってきた車が私たちの脇に停まる。白タクをやってくれるようだ。男とそのわきに女が乗っていた。彼らはあの地域のことを知っていて、「中に入れるし、ガイドしてもいい」と言った。プータオはぶすっとして、「あの場所に送ってくれるだけでいい」と言った。
そうして私たちは、やっと梭坡村についた。ちょっとした観光の看板もあった。
最初に私たちを乗せてきた売店の男は嘘つきだと思った。こんなこともあるのだ。
でも、お金を払えばそのうちだれかの車に乗れるのが中国だから、なんとかなる。ただし、女性一人での旅だと危険かもしれない。
梭坡村の中に入っていく。森の中で、小川が流れ、マニ車もある。いい雰囲気だ。
相変わらずプータオはぶすっとしていた。自分の失敗を悔やんでいるのか、私が怒りだしたのが気に入らないのかわからないが、しばらく機嫌が悪かった。
プータオは人がいいので、すぐに言われたことを信じてしまう質なのだ。
車の交渉は全てプータオに任せっきりなので、私も悪いなとは感じている。だからプータオを慰めた。そうしたら少しずつ機嫌を直してくれた。
塔は個人の家の所有なので、入るにはその家の人に10元払わなければならない。私は一つ、中に入ってみることにした。
おばさんが、案内してくれた。プータオは節約のためか、庭に座って待ってることになった。
家の中の階段を上がっていくと、家の屋根に出た。塔はもう古くて中には入れないらしい。
しばらく景色をみていた。確かに、各家に隣接して塔が立っていた。
こんなものを作ってしまうのだ。
この塔は昔は食料を貯蔵して、敵がせめて来た時に、中に入って自分たちを防衛したらしい。
この地域も昔はもっとたくさんの塔が立っていたそうだ。
屋根には不思議な置物がある。帰国後テレビ番組で知ったが、神様を呼び寄せるものらしい。
彼らの信仰のものなのだ。
この家は民宿もやっていて、家の中も少しみせてもらった。
チベット式の椅子。
チベットの人たちがよく背負っている籠。
この家を出てまた散策した。
お兄さんが呼び込みしている。自分の家をちょっとした博物館にしたそうだ。
プータオが値切ってくれた。私一人中に入ってみることにした。
昔の道具や家屋の様子が保存されている。
日本のいろりに似ている。
敷物は動物の皮だ。
このあたりは高い木がたくさん生えているので、木を使った道具が多い。
馬の鞍
服
裾に補強の布を付けているのだろうか。
仏間があった。とても古いものだそうだ。
葉を燃やすようだ。
塔の中はこのような感じ。崩れ落ちそうで恐ろしい。
お兄さんが、ちょっとしたパフォーマンスで見学客を楽しませる。
この博物館は、自分でつくたそうだ。古いものを残して展示して、自分たちの文化を紹介しているのは、偉いなと思った。
ここにもヤクの頭が飾られている。厄除けなのだそうだ。
牛が歩いている。
鶏を飼っていたり、野菜を育てたり。平地は少ないが、自然豊かな土地だ。
のどかで、特色があり、いい観光スポットだと思う。
観光客は我々以外に、中国人の中年の4人組だけだった。彼らは自家用車で来たようだ。
帰りはどうしよう・・・、売店がある。
おばあちゃんに「日本からきた」と言うと、「はるばる遠いところからよく来た」と歓迎してくれた。
孫娘がいた。
裏の家で民宿もしているようだ。
プータオが、「誰か車で送ってくれる人がいない」か聞くと、おばあちゃんが古い紙の束をみながら、ある人をみつけ、電話をかけてくれた。しばらくしたら、その男が来て車で送ってくれるそうだ。
来た時よりも代金は安かった。
助かる。
ドライバーの男は親切そうな人だった。もう一人別の男も乗っていた。私たちを乗せて街まで行きホテルの前で降ろしてくれた。
今日はいろいろハプニングがあり、炎天下でちょっと大変だったけど、しっかり観光できたので満足だ。
プータオとまた広場に出かけた。
晩ご飯は、昨日気になっていた、火鍋の店に行くことにした。
広場の下に店がいくつかあったが、奥は薄暗くさびれているようだった。
火鍋の店は客がいっぱいいて、しばらく待って、中に入れた。
薬味と一緒に食べるのが美味しい。
隣の席の茹で方は豪快だった。こんな方法思いもつかなかった。
夜になると広場ダンスが始まる。
アメリカの音楽にのせて軽快に踊る若い子もいれば、同じ音楽でのそのそマイペースで踊るおばあちゃんもいる。お腹が出たおじさんも足をバタバタあげながら踊る。
誰も他の人なんて気にしない。なんとなく一緒に、自分が楽しく踊れればそれでいいのだ。
ダイバーシティだ。
とても良い文化だ。
イルミネーション
橋のたもとに、おばさんたちが果物を売りに来ている。
トラックいっぱいのザクロ。食べにくいから私はあまり好きじゃないけど、プータオが買った。すごく安かった。(次の日食べたけど、ぱさぱさして美味しくなかった・・・。やっぱり安いのには理由があると思った)。
丹巴は中国で最も美しい村という認定も受けたそうだ。
私は、リタンやガンズの方が好きだと思った。
また明日バスに乗るので、売店でお菓子や飲み物を買って帰った。小さな町なので、2日もいたら慣れた感じがした。
在丹巴第二天。我们去了假寨。感觉被骗了。一点都不好的地方。脏乱差。里面全是旅店民宿。路上牛粪。进去他们的屋里花钱。回去的事情路上没有回去的车。一直走到路程三分之二才有车。遇到了壁虎🦎 。中途和很多虫子。姐姐很害怕。就这样我们回去了。在街道上有一个卖店。我们买了东西了我和那个老板说我们去哪里。他说带我们去。谈好了加钱。但是送我们去的地方比较不好。我和姐姐感觉到被骗了。然后有了争吵。我就先走了。在路上我找到了一个和她一起去了有塔的地方走了很远。腿比较累。姐姐去了塔里面看了我没有进去。她还是去了有回去物品的一个塔里。拍了照片。就这样我们回去了。走到下面。在路边的卖店里找到了有车回去的我们在这里等不长时间车来了。很划算我们到了酒店了休息了一个小时后我们出去吃饭了吃的时串串香火锅好吃。但是贵。这是在藏族地区最后一天了。我们买了在车上吃的东西就回去休息了