putaotao的日志

タオ姐とプータオ(弟)の中国・四川旅行記

11日目 理塘-色達

理塘-色達:

朝、5時半ごろ起きた。ボーとしていたら、ドアをノックする音が聞こえる。宿の奥さんがきて、鳥葬だという。昨日、旦那さんは用事があって、車で送っていけないと聞いていたけど、送ってくれるのだろうか。

とりあえず準備をした。1階のロビーで待っていたけど、誰も来ないので、ただ今日、鳥葬があることを伝えに来ただけだったのかもしれない。

プータオと外に出た。タクシーが来たので、いくらか聞いてみたら50元だという。高いと思って乗らなかった。トボトボ歩いた。

別のタクシーが来た。30元だという。乗らなかった。

朝からたくさんの男たちがリレー回しで物を運んでいる。皆で助け合う文化があるのだと感じた。

朝は寒い。やはりタクシーに乗りたい。タクシーがきた、どうやらさっき会ったタクシーのようだ、30元だけど、私が乗ると決めた。歩いていたら間に合わないと思ったし、なんだか疲れて歩けない。

タクシーで行って正解だった。チベット族の住宅を通り抜けたはずれの草原にその場所はあった。歩いたらだいぶ遠かった。

 

朝6時40分ごろに到着した。草原だ。

すでに人が集まっていた。焚火をしている男たちがいた。ヤクの糞を燃やしていた。彼らに向うの死体の近くに行っていいか聞いた。

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男は「行っていい。写真はダメだ」と言った。トイレは無いそうだ。

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プータオと遺体を囲む男達の方へ歩いていった。取り囲む男達がじっと私たちを見つめてくる。何も言わずに近づいて行き、そばに立った。

観光客は私とプータオの二人しかいなかった。

ハゲワシが集まっていた。

遺体に無数の傷がつけられていた。高齢の男性の遺体のようだった。痩せていた。

まずその遺体にハゲワシが群がり、肉をついばんだ。ハゲワシは飢えていた。我先にといった感じで、肉に食いつく。鳥同士で相手を威嚇するような様子も見られた。

回りを囲んでいる人間は、危ないからと少し離れて距離を取った。遺体は鳥にすっかり覆われた。

ワシは20羽ほどいた。

 

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暫くしてワシは人間によって追い払われた。

遺体の肉がだいぶなくなっていて、あばら骨が綺麗に見えていた。

人間の肉も、ワシにとっては格好の餌なのだなと感じた。

 

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取り囲む人は全員成人の男だった。昨日、草原で出会った少年にプータオが「鳥葬を見たことがある?」と聞いていたが、少年たちは見たことがないと答えていた。子供たちにはまだ見せないのだろう。

 

それから何人かの男が残った遺体を分割し始めた。何人かは素手で行っている。

鳥たちは少し離れたところでじっと待っている。

羽を大きく広げている鳥もいる。

 

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朝から晴れて美しい草原と山が見えた。

 

男たちは悲しみに打ちひしがれるような様子はない。立っていたり、話をしたり、携帯電話をみたりしている。

一人の男は、ヤクの黄色い油が入った袋をワシにあげるふりをして遊んでいた。

少し離れたところに僧侶が一人、別の男と一緒に立っていたけど、ただ、携帯電話で撮影をするか、男と話しをするかだった。何か儀式が行われるわけではないようだった。

  

遺体の解体が進む。

地面にある石を台にして、ナイフや斧で細かくする。

素手でやるものもいるし、手袋をつけるものもいる。

腰をビニールで覆う者もいるし、そのままの者もいる。

頭部も手際よくさばかれる。

頭皮がべりっとはがされ、頭蓋骨を半分に割り、中から脳みそをごそっと取り出す。すごくスピーディーだ。

 

あの遺体にはもうその人の魂は無いのだ。

 

だんだんと欧米人の観光客も集まってきた。

マークも他の欧米人2人と来た。

欧米人にとっては衝撃の光景のようだった。

「Oh my God.…And Laphing....」などと言う声が聞こえてくる。

女性は目を背けていた。

 

臭いは少しあったけど、私は気にならなかった。マスクをしていたせいだろうか。

 

私やプータオは最初は怖かったがだんだん慣れてきた。

淡々と作業が行われるので、怖さはあまりなかった。

 

アジア人らしき男女が来て若い男がビデオをまわしていた。

チベット人の男がヘイと声をかけていたが、聞こえないようでビデオを撮り続けていた。

女性の方は少し吐いていた。

その後、チベット人は何も言わなかった。

そのアジア人がこちらの方へ来た時に、「遺体の撮影はだめらしい」と私が伝えたら、近くのチベット人の男が、「撮影してもいい」と言った。

遺体の形が無くなったら撮影してもいいのだろうか。

よくわからなかった。

 

斧がリズムよく肉を刻む音が聞こえる。

遺体は、最終的に細かく細かくされ、ほとんどすべてミンチの状態になった。

そして、麦の粉だろうか、粉をふりかけ、ヤクの油もかけて、よくまぜた。

そしてまたそれをワシに食べさせた。

だんだんとワシの食いつきも悪くなる。

 

作業をした男たちは、赤くそまった手と腕を、地面の草にこすりつけて、肌についたものを落としていた。

 

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プータオがチベット人の男たちに少し話しかけて分かったことは、作業している人たちは、亡くなった人の親族、近所に住む人、あと専門の人だそうだ。

とにかく作業がスムーズだと感じた。

 

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なかかワシは食べ終わらない。

私とプータオは帰ることにしてその場を去った。

ちょっと離れた場所にも、解体用の石や斧やナイフが落ちている。

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少し離れたところで草むらから男が出てきた。トイレをしていたんだろう。

プータオが話しかけて、鳥葬のことを聞く。

その男曰、以前はワシが50羽、60羽と沢山いたそうだ。だんだんワシは別の所へ移動し、少なくなってしまったそうだ。

このあともう一体別の遺体の弔いがあるそうだ。

 

そうして、私とプータオはチベット人の住宅街を通り抜けながら歩いて帰っていった。

 

昔プータオも使ったことがあるという古いタイプの車があった。

操作が難しいそうだ。

 

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電線が絡み合う電信柱。こんなので大丈夫なのだろうか。

 

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ヤクの糞が壁に干してある。

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幼稚園

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 部屋が売られている

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一昨日の夜、広場ダンスを見た広場

 

朝ごはんは可って持ち帰ることにした。作るのを待っている間に市場の方のトイレに行ってきた。清潔だった。

 

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市場ではヤクの肉が売られている。やっぱりしっぽがついている。

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プータオは鶏肉とご飯を買い、私は肉まんとチベットの餃子を買った。

ホテルで食べた。

チベットの餃子は素朴な味だった。やはり漢族の料理の方が食べなれているので、おいしいと感じる。

 

そしてチェックアウトしようとロビーへ。

誰もいない。掃除のおばさんに来てもらった。

デポジット金を預けているので、掃除のおばさんにホテルの主人に電話をしてもらった。

しばらくやりとりがあって、結局、プータオに電子マネーで返金となった。

こういった事態は、私一人では対応は難しかっただろう。

私はWechatのお金を受けとることもできない。

 

理塘の街ともお別れだ。気に入ったので少し寂しかった。

 

宿を出てちょっと歩いたところで、プータオがドライバーに声をかけられた。

早い。

甘孜まで行けるという。白タクの値段は100元、誰でも同じなのでOKした。

車に荷物を入れた。まだ人を探すというので、駐車場の所で待った。

ドライバーは別の場所に人を探しに行くからと、自分の身分証明書をプータオに預けた。私たちの荷物は車にあるので、その保証として渡してきたのだ。

駐車場の脇の家を覗いてみた。

お爺さんが何か刻んでいる。それは何か尋ねたら、中国語がわからないようで、誰かを呼んでいる。そうしたら少年が出てきて、私たちに少し分けてくれた。

チーズだった。すごくすっぱい。。

お爺さんは、チーズを細かく切って容器に貯めていた。後で、少しずつ料理に使うのだろう。

切り終わったら、外にでてきて私の隣に座った。

お爺さんと話をしてみた。

79歳と言っていた。元気そうだ。毎日お経を唱えて、お参りもしているから健康でいられるのだろう。

中国語も簡単な言葉は少し話していた。

日差しが暑い。

なかなかドライバーが帰ってこないので、心配になって、他のドライバーに聞いてみたが、彼を知らないという。

そうしたら、ドライバーが戻ってきた。

結局、30前後のドライバーと彼の友人の男と、私たち2人だけを乗せて出発となった。

韓国のヒュンダイのセダンだ。

 

彼は猛スピードで運転する。山道でも70~80kmだ。確かに運転技術は高い。

でも山道は、カーブは対向車は見えにくいし、がけ崩れはあるし、ヤクが道路を歩いていたり・・・ひやひやす

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る。

 

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彼の性格を表すような、アップテンポの曲をガンガンかけて、歌いながら運転する。タバコも吸う、電話もかける。

陽気な性格だ。

安全に目的地に着くか、運命に任せるしかないと思った。

 

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ドライバーの友人は色達に行くそうだ。色達には私も本当は行きたかったけど、外国人は入れないから行かないと話た。

そしたらドライバーは「怎么可能」(ありえない)と言う。そんな話は聞いたことがない、オレは何度も色達に行ってるけど、検問もないし、外国人も当然入れる。と言う。

え、そうなの・・・、それならば行きたい。

料金は220元(一人)という。ちょと高いけど、行けるなら行きたい。私は決めた。行く。

行くと返事した。そうしたら、ドライバーはさらに上機嫌になったようだ。分かりやすい正確だ。甘孜に寄る時間も省けるし、お金も儲かる。

 

車は快適だから、ちょっと高いけどいいことにした。

 

音楽はチベットの音楽をモダンにアレンジした音楽で、とても気に入った。

彼らは彼らの言葉とメロディーで音楽を楽しむのだ。

 

途中の景色はとてもきれいだった。

ここは今回の旅行で一番美しい景色の移動だった。

 

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山間にもチベットの住宅が見える。

お寺、カラフルな旗、塔がある。

 

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事故車が飾ってある。事故が多い道なんだろう。

舗装されてない道もあって、危険だ。

  

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新龍で休憩。山間の小さな町だ。彼らは中華食堂で昼食。けっこう豪華に食事している。私とプータオはお腹減ってないので、外で水を飲みながら休憩。暑いので木陰で座っていた。

 

途中2回ほど、休憩。車の外で撮影。

ドライバーは車の屋根に上って、手をいっぱいに広げて写真を撮っていた。

大胆な性格だ。

 

トイレがなので、道路脇のちょと隠れた場所でトイレ。プータオが見張っていてくれた。

 

プータオはほとんど寝ていた。運転が荒くて、胃の中の物が口まで逆流したそうだ。可哀想に。

私は大丈夫だったが、二人ともシートベルトをして体を固定することにした。

山をいくつも越えて行った。

 

私も寝てしまった。

 

いつのまにか色達の街についていた。

道路脇に降りる。ここは一体どこなのか・・・。寺院も見当たらない。

荷物を下ろして、プータオが約束の金額のお金を払った。

運転手は自分の名刺を渡して、去っていった。

ここはどこ・・・

どうやら、色達の街の中心部のようだ。

寺院は別の場所にあるそうだ。

 

そしてプータオと口げんかが始まった。

「私が行きたかったのはここじゃない。寺院に行きたいんだ。でも、そこは外国人が入れない場所だ。彼らはそこに入れると言ったのだと思った。街中は外国人も入れるし検問もないのは当然だ。私が行きたかったのはここじゃない。ここじゃない。彼らの説明を私は誤解した。もし街中に連れて行くだけだということを先に知ってたら、私はここには来なかった」と私は叫んだ。

そしてさらに「今から寺院に行って見て、そこで宿を探そう。あの運転手は寺院の場所がわからない言っていた」と言った。

プータオは「今もう時間が遅いから、明日行って見ることにしよう」と言う。

運転手は私の行きたいところが外国人立ち入り禁止の寺院、ランルンガルゴンパだと知っていて、でもしれっと街に連れてきたのかもしれない。

プータオは運転手は騙したと言った。

結局、ラルンガルゴンパに入れるかどうかは明日になってみないと分からない。

プータオと私はとりあえず宿を探さなければいけないので、大通りをとぼとぼ歩いた。

色達はまさに開発中の街だった。あちこちで建物の建設、道路の整備の工事が行われている。

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街中に僧侶の姿も多い。

大きなホテルが見えたので、プータオに聞きに行ってもらった。

しばらくしてプータオが帰ってきた。外国人は泊まれないということだ、さらにすごく高かった。

ラルンガルゴンパは外国人立ち入り禁止なので、色達の街も外国人規制が厳しいのかもしれないと感じた。

それにそんな高いホテル、中国人金持ち相手に商売するつもりなのか。

こういう時は、Booking.comで宿を探すのがいいと思い、1軒、ユースホステルをみつけた。ここから近い。

プータオと歩いていった。

道路にアスファルトを敷き詰める工事をしていて、熱々の

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道路を渡りながら向かった。

 

ユースホステルが見つかった。幸い部屋は空いていた。

ラルンガルゴンパは外国人が運よく入れることもあるし、入れないこともあるということだった。

受付の若いお兄さんはすごく親切だったので、ほっとした。

 

荷物を置いて、外にでた。晩御飯を食べる店を探す。結局また四川料理の店にした。野菜が食べたかった。シイタケと豚肉の煮ものと素ラーメンを頼んだ。

あまり美味しくなかった。残念だ。

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この街は、ラマは沢山見かけるけど、リタンのように民族衣装を着た地元民はなかなか見かけなかった。

道路も広い。まさに変わりつつあると感じた。ラルンガルゴンパや鳥葬、草原を観光資源に、中国人観光客を集める一大都市に作り上げるつもりだろう。

 

広場で広場ダンスを見た。ここには、チベット人も少しいた。

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広場の向かい側には巨大な液晶パネルがあり、中国語とチベット語でニュースが流れている。原始的な生活をするチベット人に対して、石鹸を使って手を洗うなど、衛生管理を促す映像が流れていた。

確かに病気の蔓延を防いだり、観光客の受け入れにあたっては衛生指導は必要だ。

 

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宿に戻って、プータオとフリースペースで果物を食べながら計画を練った。

 

ベッドに戻ると、同室の女の子が4人いた。賑やかだった。彼女たちはお喋りが好きで、よく笑う。すごく楽しそう。私も少し話に加わって、日本人だというと、すごく驚かれた。私は彼女たちに中国人だと思われていたらしい。

二人は大学生で、就職前に気晴らしの旅行だそうだ。そのうち一人は広東語圏の子で、普通話の発音が、自分より上手だと私に言った。

ほかの二人は社会人で、そのうち一人は成都で働く保母さんで、すごく面倒見がよかった。電気毛布の使い方や、ライトの使い方など手取り足取り教えてくれる。

分からない単語などはすぐに翻訳機を使って調べて見せてくれる。

それぞれ二人組で旅行に来ていて、明日は4人で一緒に鳥葬を見に行くそうだ。

一人は風邪なのか高山病なのか頭が痛いと言って寝ていた。可哀想に。

面倒見のいい保母さんが、酸素ボンベを貸してあげていた。

私は保母さんとウェイチャットを交換した。私のことを「初めて知り合う日本の友達」と歓迎してくれた。

私が自分で作った腰ひもを彼女にプレゼンとした。彼女は肩こりがひどくて、不眠症もあるので、紐を使ってストレッチするようにあげたのだ。

そうしたら、彼女は、低反発の首枕をくれた。バスの長旅では必需品だろうに・・・。ありがたくいただいた。

私は先に寝た。そうしたら、頭のほうで彼女が私の電気毛布の温度など調整してくれてるのが分かった。優しい。

窓の方からプータオの声が聞こえてくる。声が大きいから下まで聞こえてくるのだ。

 

今天早上我们六点起来了。因为看天葬所以起来的很早。是住的地方人叫起来的。看天葬需要早点去。早上的理塘天气很冷需要穿很多衣服。出了门。想出租车去但是很贵需要50块钱我们没有做。走了很远的路姐姐累了。还有就是时间不够了所以我们花了30块钱做车去的。地图上导航不是很远。但是坐车去的时候真的挺远的。到地方了跟多人那附近有火堆。说不让拍照。我们去的最早的游客。这时候没有游客。我和姐姐去了分解尸体的附近看着。刚看的时候比较害怕但是过一会就习惯了,他们把尸体割开让秃鹫吃。附近能有20多只秃鹫。它们不怕人。尸体弄好就很多的秃鹫上去吃。很震撼。吃了一会把肉吃没有了后。他们把骨头打碎了。里面伴酥油。然后在让秃鹫吃。我看到了一副人的骨架。他们用锤子 斧头。这样弄。后来我看到了有人再拍视频和照片我也和他们一起拍了。第一次看到这样的事情。人越来越多了。在快结束的时候我们走了。我们看到了又来了几辆车。我们走下山的时候看到了一个藏族人他说又来尸体了是别的地方人。还有最多的时候有五六十只的秃鹫。我们是走路回去的走了很久累啊回去的时候我们买了吃的姐姐买了藏族的包子。我们回住的地方吃好了饭。收拾好了我们出门了。我们做的是私人车去甘孜的计划。我们坐车时候司机说可以去色达然后姐姐就想去色达了。但是我们查了网络都说是不能去但是姐姐非常想去。我们就去了色达。一个人路费220元。去色达的路是真的远。12点开始走。下午六点才到但是我想说的司机开的车非常快我头晕眼花。路上的风景非常漂亮,看到了雪山 ️ 看到了牦牛。。到色达的时候姐姐生气了因为她听错了。我们到的是色达县城不是佛学院。我们还不知道佛学院能不能进去。我们讨论了跟多。后来我们决定先住下然后第二天看看能不能进去。色达住的地方真的紧张,住的青年旅社。晚上吃的料理不是很好吃。回去后我们再青年旅社里讨论了行程。研究最后不去了后面的地方了。去甘孜。然后回去成都,我住的屋里很多人都是背包 客。有一个东北老乡说亚青寺现在不让去了。屋里人去了很多地方。老乡他走了很远。我和他们聊天的时候姐姐在楼下能听到我说的话。就这样我们结束了一天的旅行。姐姐是一个非常喜欢生气的一个人。还很倔强的人。