8日目
塔公:
晴れ。だいぶお尻の状態はよくなっていた。旅行が続けられそうだ。ほっとした。
お祭りは確か10時とおばあさんが言っていた。言葉に訛りもあるので、正しく聞き取れていたか不安になる。
ちなみに、四川もどくとくの訛りがある。
プータオと現地人は普通に中国語で会話しているけど、プータオも訛りを感じているらしい。
ホテルをチェックアウト。フロントは昨日のチェックインと同じ若いお兄さんだった。テキパキしていている。
こういうホテルチェーンの細かい仕事は、若い子じゃないとできないだろう。
一方で、地元のホテルのおばちゃんは事務作業はテキパキしてないけど、気さくで柔軟に対応してくれるのはいい所だ。
荷物を預けてお寺に向かった。もうすぐ10時だ。お祭りが始まっていないか不安で速足になる。
金剛寺についた。人が集まっていた。
まだお祭りは始まっていなかった。
お祭りを見る場所を確保して座った。となりのおじさん達と少し話をした。
そのおじさん達は中国語が喋れた。
私が日本人だと知ると、一人のおじさんが、「日本人の知り合いがいる」とスマホでWechatを調べだした。
私もそのスマホをのぞいた。チベット語の表示だ。全く読めない。
彼の知り合いという日本人女性のチベット人の民族衣装を着た写真があった。
彼女はここで語学を勉強しながら、チベットの文化を取材するジャーナリストだということだった。もう日本へ帰ったそうだ。
周囲の人はそれぞれ知り合いらしく、にこやかに挨拶をして会話をしていた。
私の隣に座ったおじいちゃんとは言葉で会話できないけど、笑顔で挨拶した。
広場の中央にドローンが現れた。祭りを撮影するのだろうか。
子供たちがドローンを無邪気に追いかけている。
こんなところでもスマホとかドローンとかハイテク機器を使いこなすのだと驚かされる。
お寺のお祭りをドローン撮影するなんて、日本よりも進んでいるかもしれない。
美しい女性の歌が流れてきた。
地元民にはなじみのある歌のようで、おじさん達も歌を口ずさんでいた。
お寺の中は禁煙なので、プータオは外にでてタバコを吸う。
まだお祭りが始まらないのでプータオにホテルに戻って、敷物とクッションを取りに行ってもらった。
そうしたら、路上に売ってる食べ物を買ってきた。
このように路上で料理して売っているのだ。
この豆腐料理とポテトフライのようなものを食べた。
私は胃が弱いので、油で胸やけしないか心配だったけど、大丈夫だった。
おいしかった。
30分ほど待って、ようやく楽器の演奏が始まった。
昨日、お堂の中で見た大きな大きなラッパのようなものもあった。
実際に使われる様子と音を聞くことができてうれしい。
低い音が出る楽器だ。
人の歌声(念仏のよう)もメロディーに時々はいってきた。
どういうルールになっているのかはわからない。
独特のリズム、メロディーだ。
日本も同じだが、西洋音楽のように正しくリズムを刻む音楽ではない。
お祈りをささげる人もいる。
このお坊さんが始まりの合図だろうか。
お堂からラマが出てきて踊りを始めた。
カラフルな布を手に持ち、片足でケンケンしながらくるくる回るような踊りだ。
周囲ではお祈りをする人もいるし、子供が走り回ることもあるし、やはり自由な感じがする。
日本では人が集まるところでは、柵があったり、自由な行動は禁止されることも多いが、チベットは和気あいあいとしてゆるい感じがある。こういったところは見ていてすごく心地よい。お寺やそこにいる人たちを身近に感じられる。
高齢なおばあさんが拝礼していた。地に頭をひれ伏し、また起き上がる。起き上がるときは、こうして若い人が後から体を引き揚げて手伝う。
高齢になっても助けてくれる人がいて、祈りをささげることができるのだ。
お坊さんは輪になってひとしきり踊ったら、最後はお堂の方に一列になり、一人ずつの踊りを披露して、順番にお堂の中に消えて行った。
踊り疲れている様子が見えた。
みんな20代か30代のお坊さんのように見えた。
踊りが見えずらいので、プータオと私はもっと見えやすい場所に移動した。
小型のマニ車を持つ人も多い。
クルクルクルクル回している。ご本人としては回してる感覚もないのではないか。
再び先ほどのラマたちが出てきた。今度は手に小さな太鼓と鐘を持っている。先ほど同じように片足で回りながら踊っていた。
こういった踊りは初めてみた。
プータオはこういうお祭りにあまり興味がなかったかもしれないけど、私が見たいと言えば、彼は黙って隣に座ってる。(携帯をいじったり、タバコを吸いに行ったりはするが)。急がずにゆっくり好きなだけ見られるからとてもありがたい。
プータオは我慢強いところがある。
次は太鼓を持った人たちが出てきた。
小さいラッパも登場。
円になって踊ったり、直線になってポーズを決めたりしていた。
時間がお昼の12時近くになってどうやらここでお昼休憩のようだ。
隣にいた若めの女性に、話しかけて聞いてみたけど、彼女はほとんど中国語ができず、ただ少しだけ単語がわかった。
午後は1時からはじまり、ヤクの踊りは明日、ということだった。
言葉が通じないとき「不懂」と言って、会話を断られる場合もあるし、一生懸命向き合ってくれる場合も両方ある。
プータオと私は、午後2時のバスに乗って塔公に行くので、お祭りの見学はこれで終わりだ。
牦牛(ヤク)の踊りを見ることができず残念だ。
昼食は昨日と同じ食堂にした。
美味しかった。
ホテルに預けていた荷物を取り、タクシーで駅に向かった。
町の中心部を通った。お店がたくさんある。
本当はもっと康定の町を見たかった。しかし怪我をして体調が悪かったのであまり動きまわれず、今回は仕方ない。
中国のタクシーは、席が空いていれば、途中で同じ方面の客を乗せる。私たちが載っていても、途中で客がいれば、車をとめて「どこ行きたいの」と聞く。逆に他の客が乗っていても、私たちが立っていれば止まってくれる。
料金はそれぞれが乗った距離に応じて支払う。
チベットのエリアでは、メーターを使うのではなく、先に目的地までいくらか聞いて、納得したら乗るといった方法だ。
塔公行きのバスがくるバス停は、バスターミナル前の普通のバス停。
塔公行きのバスの表記はあっただろうか。定かではない。
でも周囲の人に聞けば、「ある」と言う。
バスを待っていると、白タクの人たちが次々に話しかけてくる。
康定ー塔公は一人20元なので、今回は公共バスを使うことにした。
欧米人2人も一緒にバスを待っていた。どこまで行くのか英語で聞いてみた。「新都橋まで」ということだった。そして「你呢?」と言われたので、彼女も少し中国語ができるようだ。漢字文化圏でない人が中国語を話すのを聞くと、ちょっと驚く。どうやって勉強するのだろうかと不思議に思う。そしてすごいなと思う。私も負けないように中国語の勉強をしたいと思う。
塔公行きのバスが来て、プータオに「早く乗れ」と言われ、わっと乗り込み席を確保する。
乗ってから、車掌がそれぞれ行先を聞き、お金を徴収する。
中央通路には、大きな袋(肥料?)が積んであった。そして、ここにもゴミ箱がある。
私たちの荷物も通路にどっかりと置く。
バスは街を抜けて、ぐんぐん坂道を登っていく。いよいよここから標高が上がっていくんだなと感じる。
両側に山が見えだした。標高が高くなると山に背の高い木が生えていない。一面緑の草だ。旅行者向けのトイレや売店のような家もある。
外に仏教の白い塔が見える。
見晴らしの良いところには、駐車場もある。
途中トイレ休憩があって、急いで降りてトイレに行く。
チベット人の石造りの民家がある。人が集まってお喋りしているのか、のどかな風景だ。
プータオは寝てしまった。
私はずっと外を眺めていた。
途中で降りる人もいた。親子が降りてどこへ行くのか見ていた。草原のチベット家屋の一軒家に入っていった。ここに住んでいるようだ。
途中で乗ってくる人もいた。
中学生くらいの女の子も乗ってきた。バスの来る時間は正確ではない。彼女はずっとここで立ってバスを待っていたのだろうか。
新都橋について康定から一緒に乗った西洋人二人は降りていった。彼らはここで何を見るのだろうか。バスで、私がチベットの地図を見ていたら、「ちょっと見せて」言われて地図を貸してあげた。
新都橋はお店が立ち並んでいたが、小さな町のようだ。
水をたたえた川がある。
美しい草原が広がる。
花が咲いている。観光客の姿もみえる。
成都あたりに住んでいたら、ちょっとドライブで来られそうな場所だ。
あちこちに、乗馬用の馬がいる。
今回は馬に乗る機会はなかったが、次回はきっと馬に乗りたい。
川の中の石や、山肌の石にもチベット語の文字が書かれている。
こんなにたくさん、誰がいつどうやって書いて置いたのだろうか。どういう意味なのだろうか。
仏教の信仰の中に暮らす人たちの場所なのだと感じる。
やっと、塔公についた。バスターミナルというような建物のある場所ではなく、こういった路上で降ろされた。
いったいここはどこなのかときょろきょろしてしまう。
たしか18時ごろの到着だ。
あたりはまだ暗くない。日が暮れるのが遅い、夜8時ごろまで明るいのだ。
とりあえず、近くの商店に入って、プータオがタバコなどを買う。
お店の中には、ヒマワリの種や香辛料がこのような大きな袋でどかどかと置かれている。
プータオがすぐ近くのホテルを見つけてきた。
まず中を確認した。シャワーはトイレと一体化していた。
清潔そうだったのでここに決めた。
浅黒い痩せた若い男の子が手続きをしてくれた。中国語も上手に話している。
私は身分証明書がないので、パスポートを渡す。
テレビとエアコンが壊れているので、彼に伝えた。すぐ来て、見てくれたけど、治らないようだ。
部屋を変えてもいいと言ってくれたが、面倒なので、「寒いから掛け布団をもう1枚ほしい」と伝えた。
かれはちゃんと持ってきてくれた。
しっかりした対応だ。
外にでて、お寺を一つ回ることにした。
路上のバイク。
毛布がある。朝夕は冷えるのでバイクに乗るときは毛布も必要なのだろうか。
商店。
こういった座布団がよく売られている。
まず塔公寺に行った。みんなお金を払わずに入っていくが、門に守衛のようなお坊さんがいる。
チケットを売っていたので、2枚買った。
プータオは高いという。私は日本でも入場料をとるお寺も多いから、仕方ないと話した。
でも、後からよくみると、これは何か捧げものをするチケットのようで、ただ入場するだけなら必要なかったのかもしれない。
大殿に入った。1階は仏像がたくさんある。2階は、えらいお坊さんを祭っているようだ。お参りにきたチベット人は、特定の人のところで深々と頭を下げて祈っていた。
私たちには誰が誰なのか分からないので、見るだけだった。
チベット人が写真をとっていたので、私たちも写真を撮らせていただいた。
色鮮やかな装飾。
天井も装飾がある。
犬が寝ている。プータオは犬が好きだ。犬がいるとすぐに犬に合図をおくる。
文字は読めない。
油を溶かすヒーターだろうか。どのように使うのかわからない。
門のかざり
チベットの椅子と机。
ローソクの火があったので、私が火の上に手をかざしてふざけたら、プータオが真剣な顔で怒ったように話し始めた。「決して、彼らのものを触ってはいけない、ここにもあそこにも監視カメラがあって、彼らはいつも監視している。もし何かあったらとても大変なことになる。いつもいつも僕はそう言っているのにどうして君は聞かないのだ。うんぬんかんぬん・・・」と話は長かった。
私はただハイ、ハイ、すみませんとお話を聞く。
プータオは中国人であり、漢民族である。多民族国家の一員で、民族間の繊細な部分を私よりも感じているのだと想像した。
今後は気を付けます。
二階の部屋を出たところで、西洋人の女の子がいた。よくみるとアンナだった。声をかけると彼女もびっくりしていた。再開を喜びあった。
塔公はすごくきれいなところで気に入ったと彼女は話した。
WechatのIDを交換して、また連絡すると言い、別れた。
隣の建屋にも入った。尼さんの3人組がお参りをしていた。白い布を使っていた。この時はこの布の意味など知らなかった。
チベットのお寺には、白い細長い布が、ドアに沢山かけてある。
彼らのお参りの様式があるようだ。
どこでもそうだが、ここでも仏像の前には沢山のお金が置いてあった。
プータオとお金を見る。どこの国のお金なのか、いくらなのか・・・。日本のお金は見かけなかった。
入口で買ったチケットには「香油券」と書いてある。香油とは何か、わからない。
せっかく20元払ったので、このチケットを使いたいが、大殿には係の人がおらず、お参りをしているチベタンに聞いたけど、分からないと言われてしまった。
最後までチケットを使うことはなかった。
お寺の外にでた。お寺の周囲にはやはりマニ車があった。おばあちゃんと子供が歩いていた。一部のマニ車には、上に鐘がついていて、一周すると鐘がなるようになっている。
牛がいる
塔がある
中段にヤクの頭部が飾られている
家がある。山の中部には旗が見える。
お寺の裏手でテントをはるチベット人たちがいた。
車で来て、このように野宿をするようだ。
プータオに「彼らは写真を取られるのを嫌がる」と注意された。
ハイそうです。ちゃんと許可をとってから撮影するのが礼儀です。
このような美しい雪山が見えた。
美しい。プータオとしばらく眺めていた。
岡の上からさっき見学したお寺が見える。
ここにも旗がたくさんある。
丘の上には白い塔と仏画があった。
草むらの小道を通って降りていったが、途中に、チベット人女性が二人座っていた。
そして反対側の草むらの奥に、彼女たちの連れであるおじさんがいた。私にはその人が見えていた。
用を足しているようだったので見ないようにしていた。
でもそのおじさんが「フゥ」と声を出したのだ。
そうしたら、草むらに人がいることを知らないプータオは「啊,什么叫的」と声をあげた。プータオは動物か何かがいるのかと思ったようだ。
正解は、草むらで大便をしているおじさんだ。
だからチベット人の女性が笑い出した。私も笑い出した。彼女たちは笑いが止まらないようだった。
私と顔を見合わせて笑った。
彼女たちは口に黒いレースのマスクをしていた。これは、顔を隠すためなのか、埃よけなのか・・・わからない。
別のところで聞いたらどうやら日焼け止めのマスクらしい。
プータオがまたタバコと噛むものを買うので商店に入った。
高所なのでポテトチップの袋がパンパンだ。
ヤクのジャーキーのようなものが売っていて、味見するとこれは美味しかったので、いくつか買った。
店主のおばさんは話し好きだ。
理塘に行くバスがあるか聞いてみた。
毎朝10時に、1本だけここから直通バスがあるという。新都橋行きのバスもあり、新都橋に行けば、そこから沢山理塘行きのバスはあるという。
いい情報が得られた。
ヤクのヨーグルトがあちこちで売っている。
チーズを少し味見させてもらったが、私の口にはあわず買わなかった。すっぱくてちょっと苦いような味だったと思う。
夕食は私はあまりお腹が空いていないのでいらないと言った。
プータオがご飯3つと肉の炒め物と漬物を買ってきた。
それを少したべた。
プータオはご飯をすごく沢山たべる。でも、さすがに2つ分のご飯は食べ切れずに残していた。明日の朝、また食べることにする。
夜、プータオと喧嘩した。今となっては理由が思い出せない。
私は言葉のストレス、食べ物のストレス、体の怪我があり、プータオにもうるさく注意され、疲れていたのだと思う。
怒りたくても中国語では気持ちを自由にしゃべることもできない。
日本語で書いてチャットで送ったりもした。(そして翻訳機を使ってみてもらう)。
夜、馬が沢山通るのが見えた。
子供が馬を引いている。慣れたもんだ。
後から知ったが、馬の祭りがあったようだ。
明日は、いよいよ理塘に向かうことにする。理塘は遠い。ここにもう1泊するか迷ったが、朝10時のバスを逃すと、理塘に行くのが明後日になりそうだ。
理塘は一番行きたかった場所なので、明日出発することにする。
だから、もう一つのお寺は、早起きして早朝に見学することにする。
*今ふりかえると、もっと塔公は見所や遊ぶところもあった。お寺はほかにもあるし、草原もとてもきれいだ。
馬にも乗れる。川べりの散歩もできるだろう。
塔公は草原と花畑がとても美しい。撮影にもいいだろう。
きっとこれから観光客が増える場所になると思った。
今天是在康定的第三天。昨天下午了康定的金刚寺有活动,所以我们早上很早起来的了。早上我们吃的水果但是我还是饿。我们把东西收拾好了后放在了酒店的大厅里。这样我和姐姐一起去了金刚寺。刚进来的时候人不是很多。有卖东西的人。我卖了一杯豆腐脑吃。姐姐也说好吃。后来姐姐让我去取在地下做的东西,回来的时候看到了炸土豆的。买了一盒。回去的时候姐姐说要回去上厕所。姐姐走了后表演的音乐就开始了。他们准备的时间长。等了很长时间。刚开始看的还有意思。但是后来我感觉都是一样的舞蹈。他们的活动好几天。但是我们等了好久也没看到牦牛舞蹈。中午了时候喇嘛们都去吃饭了。就这样我和姐姐也去吃饭了。下午坐车去了客运站附近。因为这里有去塔公的汽车。一个人20块钱是校车的样的汽车。这辆车也可以到新都桥。然后才到塔公。就这样我们的旅行越走越远。在去的时候走318国道。经常堵车。下午两点坐的车到的时候已经下午五点半了。塔公的太阳比康定晒。下车的地方距离我们住的地方10米。很近价格便宜环境不错。我们把东西放下后就去在外面游玩了。去了塔公寺。这里我告诉大家不用买票的也可以进去的。我说了告诉了姐姐。但是姐姐还是花了四十块钱买票,我们上当了。里面的人不是很多。但是能感觉到香火旺。进了大殿看了来来回回有很多人,有游客或者信徒。我们还去偏殿和楼上。这里有很久以前的喇嘛舍利。是一座年代久远的寺庙。后来我和姐姐去了寺庙的后面出去了。看到了很多的转经筒天气非常好。旁边的草地上有人露营。然后我和姐姐一起去了前面的一个小山上。在这里能看到塔公寺的全貌。在这里能看到塔公草原和下面有一个寺庙。我们计划第二天去的。我们是从山下走的。路过了一个小超市买东西了然后问了她去理塘的车几点到这里。每天十点在塔公寺的站点等车。回去时候和姐姐说了明天早点过来看。我们回去的时候都已经九点左右了。然后我饿了。姐姐非要吃藏族的吃的。我说不吃。我说你自己吃吧我不吃。我吃不了了。后来也没有吃。晚上的时候姐姐不知道为什么生气了。真的害怕她生气。我那时候心里不舒服。她说了很多。后来我也生气了说。我自己明天回上海你自己旅行吧。在后来。我们把自己问题说开了就好了。。