7日目
康定観光ー2:
朝、まだお尻は痛かった。今後、この先に進むかどうかはまだ結論は出さず、康定でしばらくゆっくりして考えることにした。
ただし、この状態で、安宿に泊まるのは無理だ。
日本なみの清潔感があるホテルを探した。
ibisホテルがあった。こんな辺境と思われた町にも、欧米のホテルチェーンがあるんだと正直びっくり。
値段は高めだけど、とにかく心も体も休めたいので、移ることにした。
プータオが電話で空きを確認して、タクシーに乗って向かった。駅からずいぶん離れていて、康定の中心街のさらに向うだった。
ibisについた。
清潔なホテルのロビーに出迎えられてほっとっする。
やっぱり私はこういうのにほっとする価値観なんだなと思わされる。。
ちょうど掃除したての部屋が空いたので、少しだけ待ったら部屋に入れた。
清潔なベッドとトイレと、シャワールームがあった。
けが人にとっては天国に来たような気分だった。
無料のペットボトルの水が置いてあったけど、よくみると・・・・あれ、中身が少し減ってる。
すぐ廊下に出て、掃除のおばさんに水が新品じゃないと伝えて、新品と交換してもらう。
私が「谢谢」(ありがとう)というと、清掃員が「是应该的」(当然ですよ)と丁寧な返事。こんな言葉を聞くのははじめてだ(今後もなかった)。びっくり。
いわゆる先進国レベルのサービスを教育されてるのだと思った。
高いけど、ここに来てよかった、と再び感じた瞬間だった。
ところで、他のブロガーが書いているのを参考にして、成都のパンダホテルで四川の地図を買っておいた。
東チベットを旅行するなら、確かに役に立つ地図だった。
康定は標高2600m程度なので、高山病の症状などはないが、高所に行く前から、高山病の薬、ダイアモックスを飲んだほうがいいと聞いていたので、薬を飲み始める。
薬は日本の病院でもらってきたが、一人分しかもらってない。本当は1つの丸い薬の1/2を1日2回飲むことになっているが、プータオもいるので、一度につき一人1/4を飲んだ。
プータオが高山病になったら、私も旅行できないし、悲しいから、二人で分け合う。
康定には温泉があるとネットで調べていて、行きたかったけど、体がこんな状態なので、近場の見学に出ることにした。
近くにお寺が2つある。タクシーの運転手にも聞いていた。
まずはホテルの隣の金剛寺に行く。
坂道を登っていく。歩くたびに尾骨が痛む。坂道もゆっくりしか登れないので、プータオが手を引っ張ってくれた。完全におばあちゃんと孫のような状態だ。。
さっそく、小さな小屋に、大きなマニ車二つと、祭壇のようなものがあるところをみつけた。中には誰もいなかった。何だか薄暗くて怖かった。
中の写真を撮っていいか、近くにいたい人にきいたら、「多分ダメだろう」と言われた。彼らは漢民族だろう。
中を見学して出てきたら、綺麗な女性が「一緒にお参りしよう」と誘った。彼女にくっついて、マニ車2つを回しながら、何度もグルグル、グルグルグルグル・・・いつまで回るのかわからず、私とプータオは先に行くと告げて、出てきた。彼女はどれくらいお参りしたのだろう・・・。
金剛寺についた。
色鮮やかなお寺があった。
中に入ると、旗がはためく。屋根に鹿がいる。
初めて見る光景だ。
チベット仏教のお寺に来たんだと実感する。
もちろん、国旗もはためいています。
お堂の中を拝見。中は撮影禁止とのこと。
仏像がたくさんあった。
仏像の前にはお金もたくさん置いてある。
賽銭箱もあった。
日本は賽銭箱はあるけど、仏像の前にお札を置いていく風習は無いのではないかな・・・。
龍や牡丹のモチーフ。中華文化と共通しているところも多いと感じる。
声と金属の楽器の音が聞こえるので、上に上がってみる。
この部屋の奥でお坊さんが、シンバルみたいな道具を鳴らしながらお経を唱えていた。
あの道具は、あんなふうに使うのかと初めて知る。
ルンタ(旗)をよく見るとこんな風に、チベット語がびっしり印刷されています。
あ、ヤクの毛。お堂の前で、おばあちゃんとラマ(お坊さん)が毛を使って何かを作っている。
少し話を聞くと、お祭り用のズボンを作っているそうだ。
ヤクの役をする人が着るズボンを作っているそうだ。
あと、ヤクの頭部も作っていた。
こんな風に、街の人も協力して一緒に準備するんだと思った。
それから、やっぱり身近にいる動物がお祭りにも登場するんだと思った。
こうしてその土地その土地の文化がある。
お寺の周囲にも大きなマニ車がたくさん。
高齢の方たちがマニ車を回しながら、お寺の周りを歩いてお参りをしていた。
このように壁に言葉が貼り付けてあった。仏教の教えを思い起こすのだろうと思った。
寺の境内にベンチがあって、女性が二人で話しをしていた。
あ、あの小さな小屋に私たちをお参りに誘った美しい女性だ。
彼女が手招きして、果物をくれた。
境内に果樹があって、黄色い実がたくさんなっている。
これを拾って洗って食べていたのだ。
甘酸っぱい美味しい実だった。
おいしいから、プータオと私も実を取ろうとしたけど、なかなか食べごろのものが見つからない。
私が「真的好吃」(本当に美味しい)と何度も言っていたら、彼女が自分のをもっと食べなさいと誘ってくれた。
チベット族の方との初めての交流だった。
私が日本人だと知ると、「日本人~」と言って微笑んでくれた。
少し心温まる。
おばあちゃんたちも必死に果物を拾っている。
この果物、美味しいから拾いたくなる気持ちがわかる。
下に降りてくる。
お坊さんたちが何やら沢山段ボールを運んでいる。次から次へと段ボールを皆で運んでいる。
おばあちゃんが、一応中国語で「明日午前からお祭りがあるんだよ。踊りもあるよ。ご飯も食べられるから見においで」と言う。
明日、きっと見に行こう。
また元来た道を下る。お昼ご飯の店を探す。
プータオはお腹を壊しやすいので、食べなれないものはあまり食べない。
今回の旅行ではほとんど漢族の店に入って、いわゆる中華料理を食べた。
今振り返ると、もっとチベット族の民族料理を食べておけばよかったと思う。でも二人で入って一人だけたべるのもアレだし、一つの料理の量が多いし、味もわからないし、いろんな意味で心にブレーキがかかってしまった。いつかまた、行ったときは、チベットの料理を食べたいと思う。
食べてる客が多そうな店に入る。ラマも二人で食事していた。
席に座ると、すぐにウェイターが注文を取りに来る。考える時間をあまり与えてくれないのが、中国の食堂だ。
お勧めを聞いて、肉料理1つと野菜料理1つとご飯を頼む。
ここの食器は、このようにラップしてあって、清潔感がある。
でも念のために私はポットのお茶で、お皿を全部洗う。
ご飯には黄色い粒がまざっていた。このような木のおひつに入って出てくる。
ここの料理はおいしかった。食べ切れなかったおかずは、紙の器をもらって持って帰った。
小さな商店によって、バナナを買う。プータオはいつも通り、タバコとあの”口味王”を買う。
この二つに関して私が何を言ってもプータオ聞かない。
一度ホテルに戻って休憩。
そして夕方、次のお寺、南無寺に向かってかけた。
ちょっとしたところでも、こんな風にお話してる。
籠を背負っている人もいる。
お寺まで急な坂道が続く。お尻が痛い。
ゆっくり一歩ずつ、登る。
石で作った家
お寺に入ると、水が出ている場所がある。「手を洗うな、服を洗うな」と書いてあるようだ.
日本では、神社では手を洗う習慣があるけど、ここでは違うのだろうか。
ここも大きなお寺だった。歴史があるようだ。
本堂の中では、お坊さんが集まって読経をしていた。周囲には、お坊さん以外の人もたくさん座っている。
お菓子や飲み物をお坊さんが配って回っていた。
中に入ってもいいとのことだったので、プータオと私も中に入り入口脇に座っていた。
何度も何度もお菓子を配られる。
お坊さんにも配られる。お坊さんは、飲み物を飲んだり食べたりもこの時はしていた。途中で入ってきて座るお坊さんもいた。
何だか少し自由な感じがした。
読経が終わるまで二人でずっと座っていた。
配られたお菓子は一人分でこれくらい。プータオと二人分、持ちきれないので、私の帽子に入れて、さらにプータオの上着で包んで持って行った。
こんな風に、物を分け与える文化があるのだと感じた。
何だか久しぶりの感覚だ。
日本にいるとなかなか、お金を抜きにして「分け与える/与えられる」という経験をするのが少ないように思えた。
それからお寺の上のほうまでぶらぶら散策した。他にも中国人観光客がいたので、プータオが知ってる情報を教えてあげていた。
山の上に白い馬がいて、じっとこちらを見ていた。
高台から康定の街を見下ろした。
こんな風に、山間の土地にある町だ。たしか、ここが、東チベットの地域でも一番大きな町のはずだ。たしかに建物も多い。
夕方、ひどく車が渋滞していた。
川は水量が多い。水の流れも速くて、少し怖かった。
お寺の周りにはお坊さんのものとみられる住居もあった。共同の洗濯場や、トイレもあった。
坂を降りてきたところに、公園があった。こんなにたくさんのお菓子をもらってどうしようと思い、公園の子供3人に声をかけ、拙い中国語で
「さっきお寺で沢山お菓子をもらったからあげる」と言った。
でも子供たちはいらないといった。
プータオ曰、今の中国の子供たちは他人から一切ものをもらわないそうだ。というのも、昔、中国では子供の人さらいがいたからだそうだ。
お菓子をあげるのはあきらめた。
中国の公園には健康器具もあるので、プータオに一つずつ使い方を習った。
なかなかよかった。
それから二人でシーソーをした。
プータオの方が体重が重い。シーソーが傾きけっこう高いところまで上がるので、怖かった。また怪我したら今度こそ大変なことになる。
ほどほどのところでやめて帰ることにした。
晩ご飯は、東北料理の店でテイクアウトにすることにした。
店のコックは四川人だが、東北人の先生に料理を習ったそうだ。
夜はホテルの机で、餃子とラーメンとバナナを食べた。
今日は、チベットのお寺をじっくり見て、お経を聞く体験もでき、チベットの人との交流もできた。
明日は、お祭りを見に行く。とても楽しみだ。
今天是康定第二天和姐姐换了一个酒店。这个酒店好贵啊。是一个美国的酒店。我给酒店打了电话有房间。这样我们就预定了。但是姐姐屁股疼我们必须要换住的地方了。早上和姐姐一起收拾东西。然后坐车去了宜必思酒店。这个酒店很多人住。大厅很干净。房间也很好。姐姐很开心。然后我们把东西放在了房间里就去这个酒店后面的寺庙里了。这个寺庙叫做金刚寺。刚到大门口有一个大的转经筒。里面不让拍照。我和姐姐转了一圈就出来。但是出来的时候看到一个藏族的女性朋友。邀请我们一起去里面转经。转了很多转有点累了。我就问她需要转多久。她说多久都可以。然后我和姐姐出去了。进去寺庙里了。这个寺庙不是很大。我们去的时候他们正在做明天庆典用的东西。还有懒呢在念经。再出去的时候姐姐问了一个人我们才知道明天有活动。就这样我们回去吃饭。吃饭的地方味道不错。好吃。因为多所以把没有吃了的东西打包带回去了。在住的地方休息了一会下午我们又去了南无寺。这两个寺庙都在附近。但是南无寺真的不好走。太高了。我一直牵着姐姐的手。一点一点的走。姐姐屁股疼。所以走的很慢。南无寺人不是很多。我们是走的小门进去的。然后去了大殿里。我们在门口看着喇嘛们在一起念经。给了我们很多的吃的。吃的用姐姐的帽子都装不了。后来我用衣服才包上。然后我们去了别的地方看。去的地方很多都是关门或者在修建。然后我还和也是一样旅行的聊天啊。他们也是刚到康定的。然后我们去了一个广场上。看到了康定的全貌很漂亮。姐姐比较害怕高的地方。就这样我们从这里往下走回去了。下去的话比较好走。在回去的路上有一个小公园。有几个小朋友。姐姐说要把吃的给小朋友。我说可以啊。但是她们不要姐姐给的吃的。我说中国人小时候就交不要吃陌生人给的吃的。这里有几个健身器材。姐姐不会用我教他怎么玩。我和姐姐一起玩跷跷板。姐姐好重啊。把我压的高高的我很害怕啊。开玩笑的这句话。是我重。把姐姐压的高高的。她很害怕。一直在说PUTAO不要不要不要。害怕害怕。哈哈哈哈哈哈。有意思真的开心快乐。晚上吃的是东北饺子。老板是和东北人学习的所以店名叫东北饺子馆。但是姐姐屁股疼我就让她先回去了。等我的饺子和拉面好了时候外面下雨了。姐姐打雨伞来接我。真的当时非常感动。我没有想到她会来接我。当时很冷还下雨了。就这样我们回住的地方。吃了饺子拉面好啊。由于明天看节目所以今天很早就睡了。今天一天都很充实真的很开心感动。